2021年6月3日木曜日

死にゆく者の顔を見た海。波打ち際の一線先は『デッドゾーン』。


この日の海。

私は、絶対に超えてはいけない 『デッドライン』 を超えてしまった者の顔を見た。

結果から述べると、その者は死なずに済んだ。

私がその者を救助したのだ。

沖で嵌まり込んでしまった『デッドゾーン』から、生ける者達のこちら側へ引きずり出し、『サバイバル ゾーン』である砂浜まで命を押し届けた。

ハッキリと言えること。

人、一人の命を救うことは、容易ではない。

鍛え抜かれた肉体と強靭な精神力、救助技術が合わさってこそ、自らも死なずに生還出来るのである。

私自身がデッドゾーンに嵌まり込まないように、確実に見える生還ラインからしか救助は出来ない。

その者へ辿り着く生還ラインは、激流のデッドラインの中のギリギリにあった。

ここから更に数メートル奥に行ってしまったら、もう私の手は届かない…。

時間にしてほんの数秒だったと思うが、私は冷静にその者と私自身が生還出来る方法と生還ラインを何通りも計算した。

正義感だけでは、人は救えない。

『安全』と『危険』を命の天秤に掛けなければ、私自身が死んでしまうから。


写真の海は、コンディションが急変した後の海。

波が大きくなりだすことを知りながら、その者は海へ出ることを決断した。

この日は大きな低気圧が通ることは気象情報で知らされていたが、事前の情報よりも強いウネリが押し寄せだしてきていた。

そして、敵はウネリだではなく、風も沖に向けて強く噴き出してきていた。

しかし、ウネリと風が凶悪となるまでには、十分過ぎるほどにサバイバル ゾーンへ戻る猶予があった筈だが、その者は自身の命の安全を見極め危険を察知する感覚が鈍ってしまっていたのだ。

そして、その者は死線の向こう側へと、自ら漕ぎ出していってしまった。

まるで仕掛けられた漁網の中へ入り込む魚の如く、入ったら出られない潮の流れに自ら乗ってしまったのだった…。

私がその者の消えゆく命に気付くのが、あとほんの少しだけ遅かったら、私の手はその者の命を鷲掴みにすることは出来なかったと思う。

私の他にも人は沢山いた。

でも、死にゆく者の存在には誰も気が付かない…。

では、なぜ私がその者の異変に気付けたのか。

それは、『表情』である。

私の何度かある救助経験上、その者達は一様に同じ顔をしているのだ。

その顔とは、『不思議なくらいに悲しくもの寂しい、生なる熱を全く感じない血の気が引いた笑顔』。

そのもの寂しい目はデッドゾーンを超えしまい、サバイバルゾーンに戻ることを諦め生きることを観念した目。

不思議なことに、人はもう駄目だと思うと声すら出せなくなる。

例外なく、デッドゾーンの奥の奥へ流されながら、その者の目は寂しい笑みを浮かべていた。

私はその者達の手を掴んでも、『もう大丈夫』とは決して言わない。

『さあ、生きるぞ』と自身にも話しかけながら、サバイバルゾーンを目指し行動する。

生きる為の掛け声は、『生きるぞ!』、『頑張るぞ!』のみである。

計算したサバイバルラインを通っても、デッドゾーンにいることに何ら変わりはない。

砂浜まで到達するまでの時間がこんなにも長く遠く感じるとは…。

サバイバルゾーンへと命を運ぶ私の肉体は悲鳴を上げるが、生きるのだという鋼の意思のみが、その者の命を冷たい海水の中、前へ前へと押し出す。

いつもは海水に温もりを感じるのだが、こういった時の海水は非情なほどに冷徹に感じる。

どの位の時間を漕いだであろう。

サバイバルゾーンである砂浜に足が付いた時には、時間の概念が消失していた。

そのくらい、生きることに全力であったという事だ。

私は、死にゆく者の命を繋ぎ止めることに成功した。

私達に生きていることへの実感と、安堵の気持ちが全身を駆け巡る。

しかし、先程まで死にゆく者だった者には、この安堵な気持ちは麻薬だ。

その者が二度と同じ過ちを犯さないように、危険な海にいたという事実を嫌というほどに突きつける。

それを理解させるまでが、生還するという事だから。

救えなかった命もある。

死んだ者の家族が、泣き命の名を呼び、泣き叫ぶという場面もあった。

生還させてやれたのは、たまたまだ。


私の肉体も限界に近かった…。

足はガクつき、肩で息をしている。

綺麗ごとは言わない。

自然の驚異の中では、自分の命を守るだけで精一杯…。

デッドゾーンに嵌まり込み、自力で脱出出来なかった場合の生存方法は二つ。

※いずれも救える誰かがいるという事が前提であるが…。


1,自身の命の危険をいち早く察知し、その場の誰かに助けを求める。

※意外と声が出ないので要注意。


2,流されきる前に、その場の誰かにプロへの救助要請を頼み、体力を温存しながら流されつつ、極限状況を肉体的にも精神的にも耐えきり、プロの救助を待つ。

※陸が見えない極限状況を耐え切る覚悟が必要。


しかし、こういった状況下に陥ること自体の全てが間違いであり、これで助かることが出来たのなら、とてつもなく幸運であるが、救助に出る方々の命をも危険に晒すこととなる。

自分の命を守る為に、決して危険には近づかない。

波の大きさや強さだけではなく、事故リスクの高い混雑している海も同様である。

どんなに穏やかで小さな波でも、波打ち際の向こう側は何が起こるか分からない人間が生息出来ない『デッドゾーン』であるという認識をくれぐれもお忘れなく。


嫌な予感がしたり、気乗りがしない時の感は大体当たる。

自身の肉体、精神、技術、現状での全てを俯瞰の目で鑑みて、自らと人の命の安全を最優先に行動することを強く進言致します。

もう二度と、デッドラインの向こう側の死にゆく者達のあの笑みは見たくないから…。



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